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2014年4月1日火曜日

記憶を探索

個人を規定するものについて考えてみた。


【他人からの評価】


【自分で確信して得ている自信】


多分大きく分けるとしたら上記の2つ。

どちらか偏りすぎると「自分がない」、「自信過剰」、極端な例だけど・・・



自分が気が付かない長所、短所を指摘してくれた時、【他人からの評価】が良くも悪くも個人を違う人格に形成していく。



昔、中学生の時、先生の言葉は忘れてしまったが、

議事が進行中で、その内容について要約したものを

唯一ともいえる自分自身の発言で表現した時に、

肯定的な言葉をかけてくれたんだと思う。


あらかじめ決められた言葉ではなく、自分自身の発言で表現した、という経験は数えるぐらい。


今までの人生を振り返ると、ほとんど「こうしたら、こうなります」っていう事だけに時間を割いてきたような気がする。

「これはわからない、だからやめよう」


「これはわからない、が挑戦する価値があるからやってみよう」



どんどん精神論、抽象的な話になりそうなのでやめるが、


自分で収集したものの中から抽出したデータ、例え根拠が薄いデータでも、

そのデータで他人に見てもらえるように新しく作り変えている時は、

しんどいが自分で仮説を立て、仮説の根拠を固めるデータの収集、実際にデータを加工、要約、

それら一連の作業の結果、表なりグラフなり文章なりウェブサイトの構成なり英訳が出来た時、

達成感は確かに自分はあると感じる。

手段が目的になっても。

【自分で確信して得ている自信】を得るための方法は、急がば回れ。

この作業をしていること自体が好きだと思えるものを見つけなさい。スティーブジョブズ氏からの引用。

できることから、はじめなさい。国民政策金融公庫の担当者様からの引用。


しかし、しぶとく融資と出資の違いを検索してみるとこんなのが出た。


Q&Aサイトより

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1444301544




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