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2014年4月11日金曜日

メモ

youTubeから

https://www.youtube.com/watch?v=Vy9y_YSpYxA

上記、イーロンマスク氏とリチャードブランソン氏と他、対談。

未来

土木学会に「未来のコンテスト」の応募書類一式を送付した。


”既存のものでなければ、構想は自由です”


という但し書きがあったので、今まで散々頭の中で考えていたことを

その書類の中に凝縮することができた。


あとは審査待ち。


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英語。

人生の大部分を割いても、なかなか上達しない。

日常にそれを組み込まなければ、上達しないと誰かが言っていた。


でも上達しないと英語は使えない、

というのは錯覚かもしれない。


日常でそれを使用しながら試行錯誤して獲得する。

幼児教育の例、全然まともに立つことすらできずにいたが、

それこそ試行錯誤しているうちに立って歩く能力を獲得する。


何回も誰かが言った、書いてあった内容を聞いたり、見たりしてきたけど、

試行錯誤している間が短い期間だったり、しばらく触れずにいると、獲得には至らない。


というか何かの能力を獲得した、という状態は

その能力を発揮し続け、立ち続け、歩き続け、英語に触れ続ける事が前提だと思う。


今使っている「RosettaStone」という英語学習ソフトウェアのchapterが終わりに近づいている。

その教材も何回も何回も繰り返ししよう。


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未来は絵空事。

過去に起こった出来事を繋げて、現在していることを信じるしかない。

10年経過後、振り返った時に点を繋ぐ事は出来ても、現在から10年後の未来を点で繋ぐ事は出来ない。

上記、故スティーブジョブズ氏曰く。


強く信じて何かをしていた訳でもない過去10年間を振り返っても、

くっきりと点を繋ぐこともできないが、

今の時点から、変わるタイミング、直観の力を信じて、何かをし続ける。

転がる石みたいな・・・




2014年4月9日水曜日

無題

wikipediaより

「健全なる精神は健全なる身体にこそ宿るべし」

古代ローマの作家ユウェナリスが唱えた、かつスポーツメーカーA社の社名の由来でもある。

先日、半年ぶりに公営プールで泳ぎ

昨日も、半年ぶりぐらいに走ってみた。

水泳では大胸筋が縮小していて100mを泳ぐのもやっとの程度。
ありえない筋肉、大殿筋がつったので、
100m*3本=300mが限界だった。


走ってみても50分で8㎞弱だった。

昨年の今の時期は毎日のように走り、毎週1~2回泳ぐようにしていたから

市民トライアスロンで完走することができた。

今の生活のスタイルは変化して、しかし

「健全なる精神は健全なる身体にこそ宿るべし」

は真実だと自分は考える。


できるだけ空いた時間を運動に割き、健全なる精神で何事に対しても望む。


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先週、読んだ「バガボンド36」井上雄彦氏著を読んだ。

極限まで命を繋ぐことが書かれていて、先週から摂生に努めたが、

走れる距離、泳げる距離、それは体に十分な栄養が蓄えられ増強してはじめて

距離が伸びる。

なんだか上記「健全なる精神は健全なる身体にこそ宿るべし」と

相反している。


目標が

トライアスロン完走という人。

ビジョンを実現させたいという人。

大勢、何かかしらの目標がある中で、何を選択するかで大きく変わる。

脳疾患の後遺症によって投薬しているが、

最小限の投薬にとどめている。

適度な運動で、睡眠が得られるために、次の活動に備えられる。

自分の選択は適度な運動、摂生しつつも最低限の栄養は必要不可欠だという判断。


生かされている。

生かされている間、考え、選択し、行動し、再び考える。そのサイクル。

スポーツとビジネスは似ている部分があるが、

スポーツはゴールがあらかじめ決定されている点、

ビジネスはゴールを設定するところから自分で決定する点。


昨年の市民トライアスロンはゴールが設定されていたため、

それに対して3カ月の準備期間、あとはスケジューリング、当日実行。

完走を経て、極度の放心状態とともに徐々に達成感は味わえた。


それだけの環境、福祉、日本に生まれて、今も生かされている。



命を地球に還元する。

それまでの間、考え、選択し、行動・・・


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以前、勤務中にトラブルが発生。

幸いにも頼りにしていた先輩と一緒だったが、

自分はあっけなく、あきらめようとしていたが、

その先輩は最後まで、模索し、探し当てた方法を実行。

事なきを得て、さりげなく「乗り切りましたね」の一言。


飛び降りている最中に飛行機を組み立てるような作業の中、

無我夢中で作業している間、

目が回りそうだったが、仕事をこなすだけに集中する事が出来た。

終わった後、上記トライアスロン完走後のような大きな放心状態があった。

「乗り切りましたね」という言葉も、チームワークする喜びを感じさせた。


先輩には様々な助言、ユーモアを受けて、

今も考え、選択し、行動・・・








2014年4月7日月曜日

記事より

インフラ整備のアイデアを募集 土木学会がコンテスト



”独創性や将来性を審査し、各部門で最優秀賞、優秀賞などを選ぶ。”

”入賞作品は冊子で紹介し企業などに参考にしてもらう。”

”締め切りはI部門が4月30日”


募集要項は以下URL


”地域を活性化したり特定の問題を解決するためのアイディア、日本国内に限定せず海外を対象
としたアイディア(特に日本固有の優れた土木分野の海外展開をイメージしたアイディア)も歓
迎です。 ”


タイムリーな記事があったので、上記に応募してみるつもりである。


宝くじは買わないと当たらない、

のと同じように

コンテストに応募しないと入選しない。





2014年4月4日金曜日

関係性

今日は「燃えるゴミの日」だったのでカラスが逞しく羽ばたいていた。

wikipediaより

”マズローは、人間の基本的欲求を低次から述べると、以下の通りである。
  1. 生理的欲求(Physiological needs)
  2. 安全の欲求(Safety needs)
  3. 所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
  4. 承認(尊重)の欲求(Esteem)
  5. 自己実現の欲求(Self-actualization)
”

ひとりでは生きられない。

飢餓的状態で2人いるとし、一人分の食糧があったらどうだろう?


この仮定が出ている時点で自分はマズロー1と2はクリアできてるんだろう。

3と4と5を、すっ飛ばして途方もないプロジェクトにかまけているのかもしれない。


ただマズローの理論にはない第6の欲求があるとすれば、


6.変わりたい欲求


ではないだろうか?


変化するときに、「恐れ不安とまどい」が変化の抑止剤とし、

DNAの中に組み込まれて作働し、変化できずにいる。


変化に適応する者が優先的に種を保存できるのではないか。

「変わりたい」を言い換えれば「挑戦したい」


挑戦するには関係性が重要だと思う。


有機物を排出する人間、それを活用するカラスという関係。

消費する生物、それを分解、再生もまた生物、食物連鎖の関係の中、

人間関係もまた然り、いかに捕食者あるいは利用者のマズロー5つの欲求を満たすべく、

そして自分も3.4.5の欲求を満たした状態で、

その上で挑戦する値が発生すると思う。


と、カラスが言っているような気がする。






2014年4月3日木曜日

さらに探索

幼稚園に通っていたころから、おぼろげながら記憶が形成されていったと思う。


自宅から幼稚園まで、手ごろな石を見つけ、それを蹴り続けて幼稚園に着く。

周囲には何となく注意していたが、

石の形状に合わせて、どのぐらいの力で、

どれぐらい遠くに飛ばせるか。


今から思えば無意識的に、そういう計測みたいなものが性に合っていたのかもしれない。


小学生の時も近所の友達とサッカーをするようになり、

気が付けばサッカー少年団に入団し、

そこでもサッカーというチームプレーを無視して、いかにボールを自分の陣地に入れないか、

だけ考えて(DFだった)相手の陣地にボールをポンポン蹴って、

また相手からボールをいかに取ってはボールを蹴っていた。



高学年になってDFからFWになっても相変わらずチームプレーが楽しいという感覚が全くなく、

何となく続けていたような気がする。


さらに中学生になってからも一応サッカー部に所属したがチームプレーの大切さが分からず、

だんだん試合に出場できなくなり、その間ひたすらリフティング、どうやって、

どのくらいの力を入れて、とかそんなことばかり考えてたらあっという間に3年間は過ぎる。


高校に入っても惰性でサッカー部に入る。相変わらず、内向性が強まり、

どうやって弾丸シュート、ボールの芯をとらえて、いかに遠くに、いかに速く、

そうやってボールの特性を計測していたんだと思う。

その間もチームプレーの大切さ、試合の結果、

云々ではなく自分が満足するシュートが何本打てて良かった。

とか、全く自分の足元までに何本ものパスがあるのにもかかわらず、責任という重みの感覚が

麻痺していた。


大学でもそんな感じ・・・。


で、ある時、偉大な力が働いて自分をアクシデントという形で一から再生に導いてくれた。


今から思えば小学生から高校生まで続けてきたサッカー、チームメイトに申し訳なく思う。

チームプレーの大切さを知る努力があれば、何倍も喜怒哀楽してサッカーが出来たのにと、

本当に後悔している。


気づくきっかけがアクシデントという偉大な力から授けられたギフトだとしたら、

もう二度とチームプレーをないがしろにはしたくないと思った。





2014年4月1日火曜日

記憶を探索

個人を規定するものについて考えてみた。


【他人からの評価】

と

【自分で確信して得ている自信】


多分大きく分けるとしたら上記の2つ。

どちらか偏りすぎると「自分がない」、「自信過剰」、極端な例だけど・・・



自分が気が付かない長所、短所を指摘してくれた時、【他人からの評価】が良くも悪くも個人を違う人格に形成していく。



昔、中学生の時、先生の言葉は忘れてしまったが、

議事が進行中で、その内容について要約したものを

唯一ともいえる自分自身の発言で表現した時に、

肯定的な言葉をかけてくれたんだと思う。


あらかじめ決められた言葉ではなく、自分自身の発言で表現した、という経験は数えるぐらい。


今までの人生を振り返ると、ほとんど「こうしたら、こうなります」っていう事だけに時間を割いてきたような気がする。

「これはわからない、だからやめよう」

と

「これはわからない、が挑戦する価値があるからやってみよう」



どんどん精神論、抽象的な話になりそうなのでやめるが、


自分で収集したものの中から抽出したデータ、例え根拠が薄いデータでも、

そのデータで他人に見てもらえるように新しく作り変えている時は、

しんどいが自分で仮説を立て、仮説の根拠を固めるデータの収集、実際にデータを加工、要約、

それら一連の作業の結果、表なりグラフなり文章なりウェブサイトの構成なり英訳が出来た時、

達成感は確かに自分はあると感じる。

手段が目的になっても。

【自分で確信して得ている自信】を得るための方法は、急がば回れ。

この作業をしていること自体が好きだと思えるものを見つけなさい。スティーブジョブズ氏からの引用。

できることから、はじめなさい。国民政策金融公庫の担当者様からの引用。


しかし、しぶとく融資と出資の違いを検索してみるとこんなのが出た。


Q&Aサイトより

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1444301544